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STORY 2 from Japan : 死の危険と戦い抜いた家族の絆

患者様の体験談

STORY2 死の危険と戦い抜いた家族の絆 太田 政夫さん

太田政夫さんは今年60歳になられます。木工事業の規模を縮小した後も引き続き法人会や組合、町内会の役員をお務めになり、忙しい毎日を送っていらっしゃいます。

最初の失神は平成6年12月、忙しい年末の仕事を終え、慌しく出かけた旅行先のイタリアのベニス郊外で、おいしいスパークリングワインと共に夕食を楽しんでいたときに起こりました。奥様はそのときの状況をこう語ります。「お食事終わって立ち上がった瞬間に、なんか私のところにこうやって、寄っ掛かってきたんですよ。ん〜、何よ、マーったらぁ〜、もう、照れちゃうじゃないの〜、って感じで。でも、顔見たら青いんじゃない…?、って。ふわぁ〜っと、こうバタンと行かなかったから良かった…ちょうど寄り掛かってきたから。それで床に寝かせて…」偶然その場に居合わせた、休暇中のお医者様のおかげで太田さんはすぐに介抱され、救急で現地の病院に運ばれました。太田さんは意識を取り戻し、ツアー旅行だったため、そのまま旅を続行し、無事帰国できました。
そして平成12年頃、近所の診療所で不整脈がありⅢ度房室ブロック(心房と心室の間の伝導が完全に途絶えたもの)があると診断されていましたが、自覚症状はなく、また房室ブロックがどのような病気であるかの説明を受けていなかったので、病気に関して何も気にしていませんでした。
2年ほど前の夏から、失神と胸に強烈な痛みを度々感じるようになりました。
「うちの組合で、木工教室ってのがありまして、それを江東区の文化センターでやったんですけど、このときに食事をして、食べ終わってから意識がなくなって、こう…崩れるように10秒か何秒かって言ってましたけど、意識がなくなりまして、それが最近の失神発作でした。」 また、夜寝ているときに胸の激痛に度々襲われました。「痛くなって寝てて、やっぱりね。ぐぐぐっ…と。だって息が止まっちゃうんだよ。ぐぅーっと。」ベットガードもふっ飛ばし、ひっくり返ってもだえ苦しみました。「そんな短い何秒だから、わかるの自分でも。ぐぅっと、やっぱり胸が締め付けられるからね。」
近所の総合病院でペースメーカーが必要と診断され、自律神経失調性失神の疑いもあったため、都心の大学病院で検査を受けるようになりました。そんな矢先にその事故は起こりました。車を一人で運転中に意識がなくなり、そのまま車は橋の欄干に乗り上げ横転、大破しました。しかし、太田さんは奇跡的に無傷で、自力でシートベルトを外し逆さまになった車から這い出しました。救急車で検査を受けていた大学病院に運ばれ、ペースメーカーを植え込むことが決断されました。その当時、奥様は太田さんのお母様の介護、ご主人の度重なる失神と突然の事故、入院、さらに機械を体に植え込むということで不安でいっぱいでした。太田さんの娘様の夫がペースメーカーの会社に勤めていたこともあり、彼を信じ、セント・ジュード・メディカル社のアイデンティティーADxDRというペースメーカーを植え込むことになりました。
家族一致団結して太田さんを支えていこうと奥様は明るく前向きに家族をまとめていかれました。「仕事のことだけじゃなくて、家族のこともあったしね…色んなことが重なったんだ、あの時はね…人間ってストレスが一番の病気の原因ですから、本人も非常に辛かったんじゃないかと思います。」と、奥様は当時を振り返ります。

植込み後、太田さんの顔色も良くなり、胸の激痛も嘘のようになくなりました。再び大好きな海外旅行にも奥様とでかけられるようになりました。空港の金属探知機を通過するときに係員にペースメーカー手帳を提示し、別のルートから出入りする以外はなんら普通の旅行と変わることはありませんでした。
太田さんは悪性の腎腫瘍も克服され、何度も死の危険を乗り越えてこられました。現在は町内のお祭りの準備や組合のお仕事に奔走し、奥様と息子様、娘様のご家族と共に充実した毎日を送られています。「この人が幾度も死の危険から救われ、今ある命は神仏と孫たちからもらうエネルギーが働いてるんじゃないかと、孫がいるからがんばれる。」と、奥様はおっしゃいます。ほぼ毎日やってくるお孫さんを順番にお風呂に入れるご様子など目を細めて幸せいっぱいにお話になる太田さんと、ずっと太田さんと共に歩んでこられた奥様にお会いし、家族一丸となって病気を乗り越えてきた絆の強さを感じずにはいられませんでした。

(2009年現在)