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STORY 2 from U.S.A : 戦い続ける生涯アスリート

患者様の体験談

STORY2 戦い続ける生涯アスリート ロン・プロージャーさん

ロン・プロージャーさんは生後6ヶ月のときにロサンゼルス・デーンズという(デンマーク移民のチーム)父親のサッカー・チームのユニフォームを着て、チーム・マスコットになりました。その体験は彼をスポーツへとのめり込ませるきっかけとなりました。少年時代もスポーツに熱中し、高校卒業後はフットボールの奨学金で大学へ進学し、公園緑地管理を学びました。卒業後しばらくロサンゼルス・ラムズというプロのフットボールチームで平穏な日々を過ごした後、現在に至るまでアメリカ、オレゴン州リンカーン・シティーの緑地公園管理の所長を勤めています。

彼はとても熱心なランナーで、数々のマラソンやトライアスロンに参加し、いずれ治療が必要になる遺伝的な弁の障害を持っていることなど考えもしませんでした。しかし、42歳になった1995年、運動能力に陰りが見え始めていることに気づきました。
「私は2回目の参加となる鉄人トライアスロンに向けてトレーニングをしていました。ところが今回はサイクリング・パートナーに付いて行けなかったのです。レースは自己ベストタイムで終えることができましたが、何かが今までとは少し違うことに気づいていました。でも自分の体が無言の訴えを起こしていることなど、思いもしませんでした。」
何人かの医師を訪ね、彼は大動脈弁疾患であると診断されました。彼の心臓内科医は6ヵ月ごとに経過を見ることにしました。

7年後、とうとう弁疾患は治療が必要なまでに悪化しました。2002年にその弁は人工心臓弁に置換されました。
手術後、最初は快適でしたが約一週間後に彼は失神を起こしました。彼の脈拍が1分当たりたったの4拍しかないことに救急隊員が気づきました。その日は救命救急室で処置を受け、帰宅しました。しかし、その一週間後、彼の脈拍は再び4拍/分に下がり、彼にはペースメーカーが必要であることが明白となりました。
「私は愕然としました。」と彼は語りました。なぜなら彼はペースメーカーを植え込むと運動ができなくなると信じていたからです。「私の人生の大部分を占める大切なものを失うと考えました。妻と私は競走や競泳、ショート・トライアスロンなどに参加する老夫婦になることを目標としていました。」

しかし、彼の担当の先生はスポーツを続けられると断言しました。
「私はペースメーカーを植え込んで生き生きとした人生を送っている人達の話を読み始めました。」彼自身がそんな人々の一人になることで、そのように生きられることを証明しています。「肉体的には私が思っていたよりも早く回復しました。2回死にかけた後にしては。」と2003年で50歳になる彼は言いました。「ペースメーカー植込み後、すぐに気分が良くなりましたし、間もなく仕事にも復帰することができました。」6ヵ月後、彼の心臓は心房では100%、心室では75%の時間、自ら拍動できるようになりました。「当初、心房は50%、心室は25%の時間しか自分では動いていなかったんですよ。」

彼は2003年の8月に開かれたフッド・トゥ・コースト・リレーと10月のポートランド・マラソンに参加し、合わせて315キロを完走しました。また彼はトライアスロン競技者の最高峰であるコナ・鉄人トライアスロンで完走したいと思っています。彼は一週間に3、4回走り、自転車に乗り、泳ぎ、またウェイト・リフティングもしています。さすがに8月に行われる彼の娘の結婚式では厳しいトレーニングもお休みでした。「彼女と一緒にバージンロードを歩けてよかったです。セント・ジュード・メディカル社の技術に感謝しています。この10年で最も良い気分ですよ。」

(2009年現在)